「Re-Design」STORY vol.2
「ホテル イル・パラッツォ」⼤規模改修計画に⾄るまでの背景

1989年12⽉に開業し、平成、令和と時を刻んできた「ホテル イル・パラッツォ」。2022年1⽉より⼤規模改修⼯事に⼊り、2023年10⽉1⽇(⽇)にいよいよグランドオープンを迎える。
今回のRe-Designプロジェクトにあたり、「ホテル イル・パラッツォ」を運営するワンファイブホテルズ株式会社はどのような準備を進めてきたのか。その経過と現在、将来のビジョンに迫る。
「ホテル イル・パラッツォ」Re-Designプロジェクトのはじまり
「ホテル イル・パラッツォ」を運営するワンファイブホテルズ株式会社を傘下に置くいちごグループは、「不動産に新たな価値をもたらす」という想いを込めた「⼼築(しんちく)」をコンセプトに掲げている。
オフィスや商業施設などさまざまな不動産事業の⼀環として、ホテル事業にも注⼒。⾃社所有のホテルへの投資のほか、ワンファイブホテルズ株式会社ではホテルのオペレーションを⼿掛けている。
もとより、いちごグループは、福岡市中央区春吉にあった「5TH HOTEL(フィフスホテル)」を2015年に取得。(※「5TH HOTEL」はその後改修を経て、「ザ・ワンファイブヴィラ福岡」および「ザ・ワンファイブテラス福岡」として⽣まれ変わり現在に⾄る)

「ホテル イル・パラッツォ」が開業した1989年の福岡市と⾔えば、「ソラリアプラザ」や「イムズ」といった商業施設が⽴て続けにオープンした年である。また、早良区百道浜では「アジア太平洋博覧会」が開催され、都市としての機能が急速に発達しはじめていた。
その後、1996年には「ホテル イル・パラッツォ」の対岸に位置する中洲に、⼤型複合商業施設「キャナルシティ博多」が開業。福岡ではインバウンド客が増加していた時期だった。
そうしたなか、春吉はと⾔えばまだ⼈通りが少なく、混沌とした昭和らしい雰囲気が⾊濃く残されていた。天神でも博多でもない、中洲に近い未開の地。その分、多くの可能性を秘めていたとも⾔える。
そうした独特の空気のなか、「ホテル イル・パラッツォ」はひときわ異彩を放ち、最もシンボリックな春吉のアイコンとして時を刻んできたのだ。
「ホテル イル・パラッツォ」の存在意義と役割
「5TH HOTEL」を通して春吉地区の魅⼒とポテンシャルを⾒出していたいちごグループは、2015年に「ホテルイル・パラッツォ」を取得。2019年には運営事業を譲受して、本格的に改修計画を進めることになった。
協議を進めるなか、2020年春にはコロナ禍の影響を受けて、計画は⼀時保留状態に。再び計画が進⾏し、形になったのは2021年のことだった。
改修のパートナーには、開業時のアートディレクションを担当した内⽥繁⽒の志を受け継ぐ「内⽥デザイン研究所」を選出。2021年秋から打ち合わせをスタートし、2023年10⽉のグランドオープンに向けて⽬下、準備を進めている。
改修の⽅向性を決めるにあたり最も⼤切なのは、本質を⾒失わないことである。「ホテル イル・パラッツォ」とはどんな存在であり、「ホテル イル・パラッツォ」らしさとは何なのか。そして、新しいスタートには何が必要で、何が求められるのか̶̶。
「ホテル イル・パラッツォ」の総⽀配⼈を務めるワンファイブホテルズ株式会社の執⾏役員・藤澤太郎は、プロジェクトを進めながら、「Re-Design」という⾔葉の本質を何度も⾃⾝に問い続けた。

「『ホテル イル・パラッツォ』という存在を考えた時に、そのおもしろさと⾔えば、地域との関わり⽅です。開業当時、「BARNA CROSSING」というディスコだった地下ホールは、多くの海外アーティストの来⽇公演が開催されるなど、感度の⾼い⼤⼈の遊び場であり、カルチャーの発信地でした。
私がまだ19歳の頃、ヒップホップ界の⾰命児と⾔われたビースティ・ボーイズのライブに⾏くために、初めて「ホテル イル・パラッツォ」を訪れました。階段を降りて地下に潜る⾼揚感と、ちょっとした背徳感がたまらなくて。⼤⼈の世界に⾜を踏み⼊れる感覚が、ものすごく強烈に⾃分の中に残っています」(藤澤)
この時の藤澤の記憶は、結果として、今回の改修の⽅向性を決める重要なヒントになった。改修のポイントは、広場やエントランス、館内ではレセプションが置かれていた2階の使い⽅だった。

ユニバーサルデザインの観点から、エントランスの階段と広場はなくし、2階にあったレセプションとラウンジは地下へ移動。2階は客室として利⽤することに決めた。
“地下に潜る”ために新設されたエントランスは、都市の喧騒と地下を結ぶ洞窟のようなイメージでデザインされた。この“トンネル”を抜けてエレベーターを降りると、ホテルの⽞関⼝であるレセプションを兼ねた、広⼤なラウンジが出現する。

シンボリックなラウンジ「EL DORADO」(エル・ドラド)
地下に広がるラウンジの名称は、開業時にオープンした4つのバーのうちのひとつ「EL DORADO(エル・ドラド)」を継承した。このバーをデザインしたアルド・ロッシ⽒へのオマージュだ。
朝7時から深夜3時まで利⽤者がくつろげるこのラウンジは、宿泊客以外も利⽤できる。観光客やビジネスマン、地元客など多様な⼈々が⾏き交う地下のスペースで、異質なものが混ざり合う。春吉という都市が秘めた「混沌」や「多様性」を再現しようと考えたのだった。

この広⼤な空間は、ホテルの名称のもとになった⻄洋の伝統的な「パラッツォ(邸宅)」を表している。⾨(エントランス)を潜り抜けると中庭が出現し、中央には噴⽔や広場が広がっている。その周囲を囲むようにテーブルが配置され、訪れる⼈々を歓迎する。
ラウンジの奥にそびえ⽴つ⻩⾦のシンボルは、アルド・ロッシ⽒による列柱ファサードを思わせる。噴⽔のように⾒えるのは、開業時にアートディレクションを⼿掛けた内⽥繁⽒による作品「ダンシング・ウォーター」。1989年に⽣まれた「ホテル イル・パラッツォ」がかたちを変えて、現代によみがえる。

Shiro Kotake
こうしてRe-Designプロジェクトでは、開業時のコンセプトを正しく継承しながら、時代に合った新しい価値を模索していった。

Nacása & Partners Inc.
福岡・春吉地区の発展を約40年間もの間⾒守ってきた「ホテル イル・パラッツォ」。2023年10⽉1⽇のグランドオープン後、⽇本初とも⾔われたデザインホテル「ホテル イル・パラッツォ」はどんなふうに⽣まれ変わるのか。そして、どのように再び時を刻み、進化していくのだろうか。
その歴史をぜひ、ともに⾒届けてほしい。